自敬寺の歴史
 
 自敬寺は大阪市の北の端 淀川区にあります。
以前は、このあたりを摂津の国、西成郡北中島村字高須と呼んでいました。

昭和30年ごろは、牛が田を耕すのどかな田と蓮根の農村の風景でした。
新幹線の開通と大阪万博を境に一気に都市化されていきました。

自敬寺は、奈良時代、天平勝宝年間(749〜759)行基菩薩が創建され「仏生山金光寺」に始まる。
その後、戦火に焼け落ち阿弥陀堂を残すのみとなりました。

江戸中期、黄檗山の僧「暁雲禅師」が全国行脚の途中この地に立ち寄り、
名高い金光寺があわれな姿になっているのを嘆かれ、当地の有力者であった浦浜春岳・
木川教甫らと力を合わせて再興されたのです。

享保元年四月八日、禅師を開山に迎え、「東向山自敬庵」が創建されました。
暁雲は、黄檗山の禅僧でしたから、以後禅寺になりました。
本尊は、行基作の「阿弥陀仏」とあります。現存する阿弥陀仏がそれかどうか解りません。
残念ながら、そのころの様子を伝えるものは、何も残っていません

再建された本堂は江戸末期に落雷によってまたもや焼失する。
その惨劇を憂いた隣家 渡邊氏は書院を移築くださり、再再建された。

第二次世界大戦の折、隣家が焼被弾による火災で全焼の折は、自敬寺本堂はまもられました。


現在のご本尊は室町時代中期天正4年作の、「十一面観世音菩薩」です
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阿弥陀佛

暁雲禅師

十一面観音菩薩